自分をおだててノせる
わお!久しぶりにブログの更新が2日以上つづいてます。まだ3日だけど。
コロナの影響で「おうち時間」「ステイホーム」が長くなったおかげで、「自分は何が面白いと感じるか」それは仕事も含めて、見つめなおす時間が増えました。わたし就活もろくにやってないので「自己分析」処女なんですよねー。
きっかけは同僚の言葉
同僚に「自分のご機嫌をとる」ということを教えてもらいました。大好きな神崎恵氏の言葉らしいです(大好きなくせにまた聞き)。
おもしろかったのが、「リモート映え」についての考え方がまったく違ったんですよ。
わたしは、オンライン会議(リモート会議、とかZOOM会議とか)でのカメラ映え(リモート映え)を「家にいるから、気取り過ぎない、でもさりげないオシャレ」という「誰かに見られてる目線」で考えていたんですが、同僚は「アクセサリーとか、腕時計とか、ネイルとか、自分がテンションが上がるもの」という「自分目線」で考えていた発見がありました。わたしはどこまでも人の目線に縛られてるんだと気づきました。
ちなみに私が考える「家にいるから、気取り過ぎない、でもさりげないオシャレ」というのは、シャツとかブラウスとかじゃなくて、綿素材のTシャツとかカットソーで部屋着っぽいけど、カーディガンを羽織る感じ。髪型のアレンジを2日に1回変えるとか。ものではなくて、持ってるものにアレンジを加える、みたいなことをイメージしてました。
前置きが長くなりました。
同僚との話をきっかけに、「自分が」面白い、モチベーションが上がることってなんだろう、どういうタイミングなんだろう、という自分研究が始まったわけなんです。こういうのをないがしろにせずに向き合えば、もっと好きなことで、それでいて自由に働けるんじゃないかなと考えた。
YouTubeもあげたりするけど、すっごくたのしんでるわけじゃない(正直心折れそう)し、このブログも書きたい欲が溜まってるときと、1年放置するとか、とにかくムラがものすごい。ただ根本的に文字や文章を書いたり、誰かにわかりやすく説明することは好きなはず。たぶん。
で、これは「タイミング」や「自分の機嫌」の問題なのかも、と思うようになりました。
ひろゆき氏著「1%の努力」読了
そんなことを考えながら、出会った1冊の本が「2ちゃんねる」「ニコニコ動画」でおなじみのひろゆき氏著「1%の努力」です。久しぶりにkindleで本を読んで、kindleの機能に目からウロコ。大体読んだ本って内容忘れるじゃないですか。だから「自分が線を引いたところ」をたどろうと思って「移動」という項目から「メモ」を開いて確認するんだけど、それ以外に、「ポピュラー」という多くの人が線を引っ張ったところも教えてくれるんですね。これは感想文やレビューにめちゃくちゃ便利だ。自分用のメモ。
「1%の努力」で私が線を引いたところは2か所。
どこに問題点があって、どこを詰めればいいのか。その勘所を探る過程を楽しめるか。テレアポのバイトと同じように、人をパターン化しながら、「こう聞けば、こう返ってくる」というモデルを頭の中で作り上げていく。
なんでここ~(笑)
かというと、「パターン化」というのが今の自分に激ヒットしたんです。ひろゆき氏はテレアポの「相手」をパターン化してますが、私の場合は、「自分のモチベーションをあげる」「文章が書きたくなる」タイミングや思考をパターン化したらずっと気持ちよく書いていられるかも、と思ったわけです。どうでもいいけど激ヒットってただのホームランか。
もう1か所は、
成功はじわじわ訪れるのではなく、最後に到達するものだ。
これだけ読むと、「努力は報われる」的な話になりそうだけど、そういうことではなくて、このパターン化をコンプリートしていくと、一気に開ける瞬間があるということ。ひろゆき氏は「一気に人生が簡単になった瞬間」と表現してる。「報われる」だと「嫌なことも含めて頑張って勝ち得る」みたいになるけど、そうじゃなくて「ゲームのようにパターン化していった先にいつの間にかエレベーターに乗ってた」みたいな感覚。ゲームしてるときって努力じゃないもんね。ハマってる感覚だもんね。
NO 努力 NO 成功?
わたしはずっと「努力は報われる」信者だったし、いまも否定派ではないのよね。ただ、自分自身が「楽しくはないけどがむしゃらにする努力」ができなくなってきたんだよねー。ここ1、2年。さっきのリモート映えのように、「誰かに見られてる」意識で成り立たせていた。悲しみが深い。
離婚をきっかけにまたこのブログを引っ張り出して、1年前の結婚したときの記事を読み返して、我ながら自分の文章は好きだなぁと思ったりして、やっぱり書き続けることをもう一度やってみたいなと思ったんですよね。仕事に?うーん、それはちょっとまだわからない。
ただ会社でもプレスリリース原稿を書いたり、企画をつくったり、世に発信したりできる立場ではあるわけだから、そういう意味では書くときに「自分をノせる」すべは持っておきたいなと思う。
結局ここでは具体的な自分のご機嫌をとる方法は書かずに書きつらねてしまった。まあ今回は、「自分は書くことが好きで、おだてりゃ木に登ることがわかった」ということでよしとしましょう。
また次回。
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